危機において、”日常”は希望だ。
いつもは特別なことをしようとか、新しいものが欲しいとか思うくせに、何かあった時に一番ありがたいと思うのは、”フツーの日常”だったりする。
ご飯を食べる、誰かと一緒にいる、自分らしくいる。メディアが見向きもしないぐらいに、記念撮影とか集合写真もそろそろいいやーって思うぐらいに、フツーのこと。
何かあった時、いの一番に駆けつけることも、とっても大事なことだけど、あきれかえるぐらいの日常を作っておくことも大事なんだ。どちらかというと、合理的に、シンプルに。抑揚なく、激情も熱狂もない日常でよい。
おたがいさま食堂くまもとの皆さんのこの日が、どうか、何のヘンテツもない、日常らしくありますように。
Recent Posts