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【みんなでつくる物語・大岡玲先生の講評】

「みんなでつくる物語」 昨年に引き続き、参加者が巨大な原稿用紙に文章を一文ずつつなげていく「みんなでつくる物語」。今年は、東京経済大学図書館館長であり、作家の大岡玲(おおおかあきら)さんに出だしを書いていただきました。
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《あなたの森の入口は、こちら》 散歩の途中でふと目に入った小さな立て看板には、そう書いてあった。しかし、看板が立っているのは住宅街の狭い空き地で、あたりには森などまるで見当たらない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、この物語のつづきはどうなっていったでしょうか。 2日間でつながった原稿用紙10枚の物語を、大岡さんに講評していただきました。

○大岡さん 今回の「みんなでつくる物語」の書き出しを書かせていただきました。実は、一番最後のところも私が書くというお話もあったのですが、それはやはり避けた方がいいと思いました。なぜかというと、私が始めて私が閉じると、せっかく皆さんが広げたお話をどこかで縮めてしまうという気がしたので、できればポーンと宇宙のなかに放っていただきたいというような思いがありました。 書き出しの《あなたの森の入口は、こちら》というのは、「森」が今回のテーマだとお聞きして、しばらく考えていたところ、この言葉がおりてきました。で、それをそのまま書きました。《あなたの森》というのはいったい何か…これには、もちろん、無数の答え方があるわけですが、私としてはこれは「森」という言葉を聞いたときに何を思うか…ということなのです。もちろん、植物が生い茂っているすばらしい森とか、深閑とした森の木立とか、あるいは村上春樹さんの『ノルウエイの森』を思い浮かべる方もいるかもしれません。ここで私が《あなたの森》と言ったときに、それが皆さんの思考の入り口になって、森の中を彷徨うように歩いていった先に、何か物語ができあがってくるのではないかという感じがあったので、それで「そこが入り口だ」と。心の中におりていくのか、あるいは地上に出ていくのか、あるいは宇宙の彼方にいくのか、いろいろな可能性があり得るわけです。というような意図の出だしであります。何の変哲もない空き地に立て看板があって、森なんかない、いわば「不在の森」です。そこから皆さんがどんなふうに旅をしてくださるのかということに津々で本日は参りました。 それで皆さんが書いてくださったのを拝見して、まずとりあえずの感想ですが、非常に面白かった。いろいろと飛び散ってはいますが、意外に私がぼんやり想像していたような流れになっていったのがとても面白かったのです。まずどこかへ行くだろうなぁと思っていたら、最初に『不思議の国のアリス』の世界がきましたね。どこかへ落ちてしまって、落ちた先はというと、そこは海。で、主人公というか語り手は、海で魚などと会話をするのだけれども、ちょっと今風の「ノリ突っ込み」があって、語り手の名について、「なんだよ、林かよ、森じゃないのかよ」とか、それがハヤシがライスだったり、モリがソバだったり、そういう小ネタが効いているところが、結構今風だなという気がしました。 でも、皆さんの想像力が、「森」ということにとらわれないで、どこへでも行こうとするところが素敵です。モリソバが卵の黄身になって、そこが入口だよ…というような、思いがけないイメージの飛び方によって物語としての「意識」が先鋭化していく感じがあって、そういう点が「みんなでつくる」ひとつの利点ですね。他者の文章をただ続けるのではなくて、批評的にそこから飛ぼうとするところがいい。 個人的に「えっ?」と思ったのは、ジンベイザメが登場する箇所です。実は私、随分昔に「ジンベイザメになりたかった」という短編小説を書いておりまして、参加して書いてくださった方の中には、もしかしたらその作品を読んでくださった方がいらっしゃったのかもしれませんね。偶然ではなさそうに思えるのは、私がその小説の中でつかっていた文句が使われているんです。みんなで紡ぐ物語というのは、一種連句的なのですが、その伝統といいますか、発句を立てた人、つまり私に対する挨拶がちゃんとある、アンタの小説読んでますよ…という意味では、非常に面白いな、と。自然とそういうふうになるのだな…と思いました。連句の場合はいろんな人が紡いでいくわけですけれども、やはり前に作品をつくった人に対する挨拶のようなものが必ずあるのです。そういうことが、出だしを書いた私に対する挨拶としてあったのでは…と感じられました。私の思いこみかもしれませんが、とてもありがたく受けとめました。 さて、この物語の語り手は、海から森に迷いこんで森のことを忘れて、後半でまた森に戻ってきます。たぶん、私の大学の学生さんがどこかで一回まとめてくださったようですが、「時間軸がずれて、分岐のところをまちがってしまった」と書いてありました。これは、筒井康隆さんの『夢の木坂分岐点』という小説がありますが、そういうものを意識しているのでしょうか。最初に私はSF的な流れを意図していたところがあったのですが、錯綜した物語をいったんその流れに戻してくれたんですね。で、そこからまたさらに物語がひろがっていきました。 いろいろなキャラクターも出てきます。クマのプーさんがヤクザっぽいところなんか、とても面白いですね。「ハチミツ漬けにしてやろうか」とかね(笑)。ギャグ系の小説家の方が手を入れたら、面白い話に展開していくのかなとも思いました。 そして最後はほんとうにむずかしいのだろうなという感じがいたしましたが、我ら東経大が誇る新正先生に書いていただきました。やはりこのように来るのかなと思ったのは、「あなたの森」という出だしで始めたものが、幸せの森となり、それが夫婦という人間関係に収斂していく。つまり、森ということを考えるときに、時間というものが姿をあらわします。森が育っていく時間、自然の中で生き物が生きていく時間のさまざまな層を森は持っています。芽を出して色づいて散っていくのもあれば、虫たちの時間もあり、水が流れる時間もあったり、樹木の長い長い時間があります。その中を探検したり遊んだりする人間の時間がある。森と共に生きていく人間の生き物としての時間が、最後に向かっていくとだんだん収斂されていくのです。そしてジンベイザメから甚平さんという女性=語り手の妻へ…という、一種の小ネタみたいなものですが、非常にうまく収斂してきたという感じがします。つまり、私たちの幸せみたいなものを探していく。メーテルリンクの「青い鳥」みたいになりますけれども、そこであちこちといろいろな世界があったわけですけれども、結局助けてくれたのは妻だった、と。女性の物語というよりも、なさけない男性の物語…というような気がしますね(笑)。時間のなかで迷っているぼくを助けてくれるのは、実は君しかいない。SF風になったかと思ったら、夫婦愛の物語へ収斂していきました。そこが非常に面白いという気がしました。 森には、ドイツの「黒い森」に代表される、時に人間を脅かす暗いイメージの森もあり、森をモチーフとした怪奇な話などがあります。森は自分の生活の境界外というか、人間をいつ脅かすかわからない存在としての森というイメージは、そうしたヨーロッパのゲルマン系の文明のなかにあるわけです。しかし、そういったコワい話にはならずに、この物語の持っているポテンシャルは日本人が好む物語にちゃんと収斂していって、最後は女性性なるものが救いになっていくんですね。「ぼくたちは、森のやさしさの中で、やっぱりいっしょに歩んでいこう」というふうになっていくのが、すごくまとまっているなと感じました。物語がとっちらかっているように見えるのに、やっぱりここに落ち着くんだという雰囲気が非常に印象深く感じました。ということで、ごく大ざっぱですが私の感想はこんな感じです。

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