In まち食はじめました

【なぜ”まち食”?】

先日、取材を受けていて

『子育てのなかで「食事」に困ったところから、
子育ての悩み、そのものにアプローチするのではなくて、
なんで「まち・地域」にアプローチしたのか。』

という点、聞かれたんです。
はて、どういうことだっただろうと、思い返しました。

子育てがツライとか、悩むとかというのは、子育て自体の難しさもあれど、それを取り囲む環境そのものが、難しさを助長していたり、助けが少なくて表面化するのですよね。

それは、個別の問題ではなくて、
「構造的に、そういう問題を引き起こす根っこがある」ということです。

だったら、子育てについてのノウハウとか○○育児法、時短○○とかじゃ、解決できないんじゃないか?と思ったわけです。

地域の中で子育てしたい、孤立しないで子育てしたいという思いがあるのに、自分(親)が地域の外側にいて「うちの子どもを見守ってください」って言っても、「親子を孤立させないでください」って言ってもだめじゃないかな、と。
「いろいろな世代のひとに見守ってほしい」と思うなら、自分(親)自身が、いろいろな世代の人と関わっていくしかないんじゃないかなと。

でも、地域活動とかボランティアとか、そういう類いのことではなくて、「自分の”食”を、まちのひととシェアする」ということから、自分の暮らしをまちに開いていくことは出来る。自分が無理して地域に合わせるのではなくて、自分の暮らしを守りながら、すこし「開いて」いく。
だれでも一日3回ごはんをたべているわけですから、少しずつなら、きっとできるはず。
そんなところから、「まち食」は産まれてるんですね。

子どもが地域に見守られることは、自分がまちの一部になった結果として、うまれてくる副次的なものなんです。

  まわり道に見えるけど、急がば回れ。
  いや、べつに急いでないのですけど。

自分の暮らしを開く、だれかとシェアすることを、身近に作っていく。それだけで解決できる(問題が解消する・消滅する)ことはあるのだと思っています。子育てに限らず。

「暮らしを開く」側になるもよし、誰かが開いた場に「集まる」側になるもよし。
そんなわけで、まち食、どうでしょう。

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